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福島第一原発事故の「その後」を報じる写真レポート本をクラウドファンディングで実現!

福島第一原発事故の「その後」を報じる写真レポート本 日本語・英語で全世界にデジタル出版

福島第一原発事故 被災地と人々のその後をカメラとペンで取材し続けています。年4〜6回のフクシマ取材にかかる旅費や宿泊費、デジタル本制作のための編集者、デザイナー、英語校閲者への謝礼を寄付でまかないたいのです。

FUNDED

このプロジェクトは、2017年6月30日23:59に終了しました。

コレクター
142
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1,551,118
56007円 このプロジェクトはindiegogo連動プロジェクトです。
現在までに集まった金額の内、この金額が、indiegogo経由で集まっています。
(2017年06月30日時点の為替レートにて換算)
残り日数
0

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このプロジェクトは、2017年6月30日23:59に終了しました。

Presenter
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PRESENTER
烏賀陽 弘道

東京在住のフリーランス報道記者・写真家です。 1963年京都市生まれ。京都大学経済学部(世界経済論)卒業。朝日新聞社記者になる。 三重県津市、愛知県岡崎市、名古屋市で5年の新聞記者生活。 91年〜2001年まで『アエラ』編集部記者。同誌では音楽・映画などポピュラー文化のほか医療、オウム真理教、アメリカ大統領選挙などを取材。 98年〜99年:同誌記者としてニューヨークに駐在。 92〜94年:コロンビア大学修士課程に自費留学し、国際安全保障論(軍事学・核戦略)で修士課程を修了。国際関係論修士。 2003年:早期定年退職してフリーになる。 著作はこれまでに17冊。

このプロジェクトについて

福島第一原発事故 被災地と人々のその後をカメラとペンで取材し続けています。年4〜6回のフクシマ取材にかかる旅費や宿泊費、デジタル本制作のための編集者、デザイナー、英語校閲者への謝礼を寄付でまかないたいのです。

1)フクシマの「いま」を歴史に記録したい

 福島第一原発事故の「その後」を伝えるデジタル写真集を日本語・英語の両方で出版し、原発事故が何を残したのか世界に知らせたい。歴史に記録したい。それが私が支援をお願いするプロジェクトです。


(津波で破壊されたまま避難で無人の小学校。2017年2月、福島県浪江町で)

 私は2011年3月11日の福島第一原発事故発生直後から福島県浜通り地方の現場に入り、以来ずっと東京と往復しながら取材を続けています (これまでに撮影した写真の一部はこちらをご覧ください)。

 その後、取材の範囲は拡大し、山形県、群馬県、埼玉県、兵庫県などに避難者のみなさんを訪ねて話を聞いています。

 また東京では3・11当時政府内部で事故対応にあたった政治家や官僚、学者に会って話を聞いてきました 。菅直人・総理、海江田万里・経産大臣、福山哲郎・官房副長官、班目春樹・原子力安全委員長、平岡英治・原子力安全・保安院次長(いずれも当時)などです


(菅直人元総理。2016年5月)

 飯舘村、双葉町、大熊町、富岡町、南相馬市など地元の市町村長にも会って話を聞いています。また米国スリーマイル島原発事故の取材に現地に二回出かけました。その成果は2017年までに7冊の本として出版してきました。

→私のこれまでの著作はこちらをご覧ください

 私のテーマは「原発の敷地内」ではありません。原発事故が起きたとき、その周辺に住む人々にはどんな運命が待ち受けているのか。フクシマに住んでいた人々は、私たちと何一つ変わることのない普通の、平凡で善良な人たちです。それがある日突然、荷造りもできないまま家を追い出され、6年も帰れなくなる。ペットも連れ出せません。大事にしていた家や庭は荒れ果て廃墟のようになります。家族のアルバムや子どもの思い出の品など、大切にしていたものをすべて失うのです。

 私はペン記者であると同時に写真記者でもあります。これまでフクシマの原発被災地を訪れるたびに(6年間で50回は軽く超えています)で無人になった山村や町並み、地震や津波で破壊されまま時を止めた家や学校をカメラで記録してきました。心ならずも故郷を追われ、仮設住宅や他県での暮らしを強いられた人々を撮影してきました。 拙著「福島飯舘村の四季」(双葉社)は、そうした避難で人がいなくなった山村の自然を春夏秋冬季節ごとに記録した写真集です。

 私はたびたびアメリカや欧州を訪れるのですが、こうした福島第一原発事故の「その後」は伝わっていないことに気づきました。原発事故への海外での関心は高く「その後、フクシマはどうなったのだ」とよく質問されます。今なお10万人を超える避難者がいる現状を説明し、現地で撮影した写真を見せると、みな一様に「まだこんなにひどい状態が続いているのか」と驚きます。3・11発生直後は海外メディアの報道が集中豪雨のように続いたのですが「その後」を伝える続報がほとんどないのです。


(取材で訪れた米国スリーマイル島原発。2013年9月)

 そんな「情報空白」を埋めたいと、2016年に 英語のデジタル版写真集”Portrait of Fukushima: Life after Meltdown 2011-2015”を自腹で出しました。キンドル版で出版したため、アマゾンを通じて世界中で買うことができます。iPadはもちろん、iPhoneやアンドロイドなどスマホ端末があればダウンロードして読むことができます。おかげさまで世界で好評です。

 この「ポートレイト・オブ・フクシマ」を将来も2017年版、2018年版……と続けていきたいのです。1〜2年に一度出せれば理想ですが、3年に一度くらいになるかもしれません。そのための資金を集めたいのです。

 取材で撮影した現地の写真は、デジタル本にする前に「速報」としてネットでその都度公開することを考えています。

2)マスコミはフクシマの続報を報じない

 10万人以上の国民が難民化し、今なお広大な面積が放射法汚染のため立ち入れない。崩壊熱を放ち続ける危険な原子炉3つが今もそこにある。

 福島第一原発事故は、間違いなく戦争級のクライシスです。

 3・11発生当時はほとんどすべてのマスコミが取材と報道に参加していました。が、その後6年が経ち、当時からずっと取材を続けている記者は、フリーランスを含めても、私とあと2〜3人になってしまいました。

 もし新聞やテレビ、週刊誌といった既存のマスメディアが原発事故の「その後」を報道し続けているなら、私がこうして孤軍奮闘する必要もなかったのかもしれません。

 しかし、主流マスコミは時間が経つにつれ、次第に原発事故の報道に興味や意欲を失っていきました。メディアによっては意図的に忌避しています。毎年3月11日が来るたびに「あれからX年」といった回顧的な記事や番組をつくってお茶を濁しているにすぎません。

  私もネタがあるたびにテレビ局や出版社に持ち込んでみるのですが、彼らの反応は冷淡です。あれやこれやと「やらない理由」を探してはボツにします。「私はいいと思うんですが、上がオーケーしないんです」「原発事故の報道は読者が嫌がるんです」「スポンサーが嫌がるんです」「『日本すごいぞ』という記事のほうが読まれるんですよ」。実に様々な言い訳を聞きました。

 かつて、出版社やテレビ局は私のようなフリーランス記者の記事を「買う」立場にありました。原稿料を払い、交通費や宿泊費などの経費を負担しました。が、そうしたマスコミ企業が原発事故の続報に意欲を失っているため(あるいはメディアの衰退で経費を削減しているため)、取材に必要な資金を得ることができません。また、私が家賃を払い食事をする生活費を得ることができません。

 私は自分の資金で(つまり自腹)で交通費や宿泊費を払い、取材を続けることを決心しました。そしてネットの 有料プラットフォームで現地レポートを公開し「投げ銭」を募って取材費をまかなっています。

3)定点観測と記録を息長く続ける重要性

 アメリカのスリーマイル島原発事故では、溶けた燃料棒を取り出すだけで10数年の時間がかかりました。福島第一原発もそれぐらい、あるいはそれ以上の年月がかかるでしょう。廃炉の全行程には30年がかかると言われています。

 原子炉から広範囲にばらまかれた放射性物質は無毒化する方法がありません。取り除いて、隔離し、保管するしかないのです。例えばセシウムの半減期は約30年です。30年経っても放射能は半分に減りません。60年で4分の1です。

 福島第一原発事故の成り行きを見守り、記録していくには、最短でも30年という気の遠くなるような長い時間がかかるのです。

 2011年3月11日夜に発令された原子力緊急事態宣言は、2017年になってもまだ解除されていません。福島第一原発の原子炉はまだ危険な状態のままなのです。

 10〜12万人の住民が家に帰れないまま避難生活を続けています。これは中規模都市がひとつ消えてしまったことを意味します。住民が帰れないまま、津波や地震で破壊された街がそのままになっている地域が無数にあります。

 原発から半径20キロの地帯は今もほとんどが住民が戻らないままです。これは東京駅から八王子駅までの距離(約40キロ)に匹敵する広大な面積なのです。 一度放射能で汚染されると、除染作業が進み、政府が居住制限を解除しても、住民はふるさとへ戻ることをためらいます。その心情や言葉を記録することも取材の重要な一部です。


(津波で打ち上げられた自動車が転がったままのJR富岡駅前。2014年5月)

このように、福島第一原発事故は終わったどころか、ずっと事態が動き続けています。取材が途切れてしまうと、恒常的な記録ができなくなってしまうのです。

4)フクシマ取材にかかるお金

 例えば福島県に1週間(6泊7日)の取材に行ったとします。

  • 東京から福島県までの電車代=だいたい往復1万8000円。
  • レンタカー代=約4万2000円(エコノミークラス)
  • ガソリン代=約1万円〜1万5000円
  • 宿泊代=4万2000〜4万8000円(除染作業員用宿舎に宿が不足しているため被災地周辺は高値です)。

合計12万円ぐらいがかかります。

例えばサクラの開花期や紅葉期など混雑期にぶつかると宿代はさらに値上がりします。

春夏秋冬、それぞれの自然の中での人々の生活を記録するために年4回取材に行くと、それだけで48万円。

それ以外にも、避難民の方の取材や除染作業の取材を加えると、年8回くらいは取材に行きます。それだけで96万円。

5)デジタル本の制作費

  • 写真を選び、内容のコンセプトを決め文字原稿を読んで本を設計する「編集者」=20万円
  • ページのレイアウトや文字のフォント、大きさ、色などをデザインする「エディトリアル・デザイナー」=15万円
  • 日本語の原稿を英語に直し校正する「翻訳者」=10万円

これぐらいの謝礼は最低限必要です。

ご支援300万円を目指すのは、やりくりして3年分の取材費用としたいからです。なお、ここには私の生活費になる原稿料は一切含まれていません。


(休憩する除染作業員。2014年11月、福島県飯舘村)

6)自腹取材の限界

こうして自腹取材を6年間続けた結果、とうとう資金が尽きてきました。電気料金が払えなくなったこともあります。

しかし、私は職業的な責務として、どうしても取材を続けたいのです。一人の人間としても、10万人もの人々が今なお苦しんでいるのを座視することは良心が許しません。

7)私は反原発でも原発推進でもない

 報道記者としての私は反原発でも原発推進でもありません。事実を記録することが職責である報道記者の仕事には、そのような観点は関係がないのです。どちらの立場も取りません。ただ事実を事実として、ペンとカメラで記録し、伝えたいのです。世界に、後世の歴史に伝えたいのです。そして人々が未来を選択するための判断材料にしてほしいのです。

8)想定されるリスクとチャレンジ

「300万円」という目標金額は、とりあえず向こう3年間取材を続ける資金として想定しています。3年後に写真集の新しいバージョンを出せればと考えています。

しかし、目標金額が達成できなくても、フクシマ取材はずっと続けます。支援いただいた金額を資金に現地に出かけます。そして資金のある範囲内で写真集を作って出していこうと思います。2018年版、2019年版とまだまだ取材と出版はまだまだ続くのです。

9)特典について

■筆者からのお礼のメール
筆者から心をこめた感謝のメールをお送りいたします。

メール・ウエブサイトなどによる近況報告・アップデート
近況報告をご報告させていただきます。

デジタル写真集巻末にタイトルと共にお名前を掲載(匿名可能)
1万円以上のご支援をくださった方は、リターンタイトルと共に写真集の巻末にお名前を記します。

■筆者との茶話会にご招待(お茶代は参加者負担)

5万円以上ご支援くださった方には、筆者と親しく歓談できる茶話会、講演会にご招待します。交通費&飲食代はご負担ください。
(都内で秋冬ごろを考えています。連絡を取り合い日程を決めていきます)

写真集掲載の一枚を高級大型プリントして直筆サインしたうえ贈呈
10万円以上ご支援くださった方は、写真集に収録された写真の中から1コマ選び、高級大型プリントして直筆サインをして贈呈します。

10)筆者のこれまでの経歴

 私は1986年以来、ずっと報道記者(ペン記者、カメラ記者)をしています。2003年からはフリーランスで活動しています。

  • 1963年1月 京都市生まれ。
  • 1986年:京都大学経済学部経済学科(世界経済論)を卒業。朝日新聞社記者になる。三重県津市、愛知県岡崎市、名古屋市で5年の新聞記者生活。
  • 92〜94年:米国ニューヨーク市のコロンビア大学修士課程に自費で留学し、国際安全保障論(軍事学)で修士課程を修了。国際関係論修士。軍事、安全保障が専門。
  • 91年〜2001年まで同新聞社東京本社『アエラ』編集部記者。同誌では音楽・映画などポピュラー文化のほか医療、オウム真理教、アメリカ大統領選挙などを取材。
  • 98年〜99年:同誌記者としてニューヨークに駐在。
  • 2003年:早期定年退職しフリーランスに。書籍を中心に執筆活動を続けている。
  • 写真ウエブサイト: https://www.ugaya.org

主な著書

どうぞ皆様のご支援をお願いします。

最後に

原発事故はこれまで世界の歴史で三回しか起きいてません。
この歴史的事件を世界に知らせ、後世の歴史に記録する。
それがこのプロジェクトです。
あなたもそれに参加できます。
どうぞ参加してください。
あなたのご貢献によって歴史が記録されたという事実は、お名前が本に刻まれることで永遠に残るのです。
心からお待ちしています。

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